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旧戸井線跡の今とこれからについてなど

緑園通ものがたりタイトル
  • 【旧戸井線跡】汐泊川に残る橋脚 画面向こうが古川町・汐首方向
  • 【旧戸井線跡】 汐泊川に残る橋脚 遥か向こうが汐首

01緑園通と旧戸井線の今を考える

函館市の新五ヶ年計画から見た緑園通

今、私の手元には「新函館市総合計画2007年〜2016年」の冊子がある。昨年末に発刊された最新版だ(インターネットで閲覧可能──ワタシが撮った写真が50点ほど載ってるし。)巻頭の西尾市長の言葉に「人が輝き まちが輝く 交流都市 はこだて」とある。30ページには「緑の拠点」として、函館山、五稜郭公園、見晴公園、市民の森、昭和公園、四季の杜公園、恵山の名をあげ、市民の憩いの場として活用・保全をうたっている。緑園通の記述はない。「水と緑の空間整備」の公園・緑地一覧表の「緑道」項目に「川原緑道」があったが、緑園通の名前は載っていない。生活道路の整備を見ると「石畳などによる道路の整備や街路樹の植栽、無電柱化」により「町並みと調和したうるおいのある道路空間を創出する」とある。どうやら緑園通という単語を忘れているようだ。気概や志まで忘れていないと信じたい。

自分の目でみること 自分の視点で考えること

緑園通を訪ねれば訪ねるほど、いろいろな疑問が浮かんでくる。どんな経緯で緑園通は生まれたのか。今も色褪せない都市デザインのプラクティスは、どんな目的で行われたのか。どんな理想をもってどんな街づくりを目指していたのか。これからの都市計画に緑園通のコンセプトを活かすチャンスがあるのか。その志は今も生きているのか、などなど。いや、それよりも、そもそも、緑園通を通るのがなんでこんなに楽しいのかというのが一番の疑問だろう。考えてみれば川原町から湯川に移動しているだけなのだ。洒落た石畳の道でも、無電柱化のスッキリした景観でも、緑の拠点でもない。なのに「人が輝き まちが輝く 交流都市 はこだて」への素晴らしいヒントに満ちている(と私は思っているのだが)。これはサプライズだ。作ったのが函館市という事実が驚きに花を添える。できればさらなるサプライズが密かに用意されていればとても嬉しいのだが。それはそれとして、私に出来ることを出来る範囲で実践していこうと思っている。たとえば緑園通の「今」を見続けること、未だに残る旧戸井線跡地をもっと訪ねること。それ以上のことはわからない。分かっているのは、そうしたいと思う自分がいるということぐらいだ。ではなぜそうしたいのか?それがまたわからないのだが、たぶん自分の目と足で集めた情報でしか答えを得られないだろうと思っている。簡単に言えば、それが好きなのだ。

02函館本線から緑園通まで

  • 函館市街地の旧戸井線跡工事区間 2008年2月現在
  • 【旧戸井線】 函館市街地の開通区間と今回着工区間(2008年2月現在)

2005年2月に富岡〜亀田本町間が市道本通富岡線として開通した(上の地図:赤いライン参照)。ずいぶんと長いあいだ富岡に残っていた橋脚も2004年に姿を消した(下の写真)。どこから見ても普通の道路で、戸井線の面影は、もはやどこにも伺い知れない。もっと写真を撮っておけば良かったと今さらながら思う。1975年以来手つかずだった亀田本町〜5号線(昭和2丁目)も、とうとう2007年に着工した。今回の開通予定区間は亀田本町側のみである。現在、昭和2丁目の小田島川橋梁の改良工事が進行中であるが、あくまで河川の改良工事であって、旧戸井線跡の道路建設ではないそうだ。関係者の話から察するに、昭和2丁目側はいまだ未買収の部分が多いらしい。国道5号線と繋がる予定もまだ立っていないとこのことだ。だが、いったん動き出したら速いだろう。このエリアの変遷からは当分目が離せない。。

  • 【戸井線跡】2004年5月 本通富岡線着工前の富岡橋脚跡
  • 富岡には戸井線の橋脚が残っていた
  • 【戸井線跡】2007年秋 着工直前の亀田本町区間 遥か向こうが緑園通
  • 【戸井線跡】着工直前の亀田本町区間
  • 【戸井線跡】亀田本町からみた昭和2丁目の着工区間 向こうが五号線・函館本線方向
  • この先に国道5号線とJR函館本線がある
  • 昭和2丁目の戸井線跡 背後が5号線 遥か向こうに緑園通がある
  • 昭和2丁目の戸井線跡 向こうが富岡側

03緑園通から戸井町汐首まで

  • 【戸井線跡】汐泊川にのこる橋脚
  • 【戸井線跡】 汐泊川に残る橋脚

緑園通の湯川側エンドから戸井町汐首(現函館市汐首町)までのおよそ18kmには、橋梁・橋脚や荒れ果てた線路跡地がいまだに点在している。線路跡をひと繋がりに進むことは不可能だが、途中一般道を交えながらも、かなりオリジナルに近い経路で戸井線の跡を辿ることが可能だ。一部通行可能(歩行者だけだが)な戸井のアーチ橋や汐泊川の橋脚(写真参照)は有名だが、雑草の生い茂っていない時期ならば、いかにも廃れ果てた線路跡の道(と呼べるのかどうか分からないが)を歩くことも可能だ。ちょっとばかり不気味だが。根崎町のグランド裏からは新湊町の行き止まり─汐泊川の橋脚まであと1kmほどの地点─までの4kmちょっとは一般道になっている。函館空港の滑走路に沿うように延びるごく普通の車道である。線路だった頃の面影は逆立ちして瞼を閉じても偲びがたい。汐泊川から先、汐首までは私にとって未踏の領域である。過去、通り過ぎることは幾度もあったが、戸井線の跡をたどる目的で訪ねたことはない。いや、正確に言えば辿るつもりで訪ねたことは何度かあるのだが、いつも途中で出くわした「ユーレカ!(みつけた!)」に夢中になって一日が終わってしまい、なかなか汐泊川から先に辿り着かない。特に途中にある飛行場の周りはシャッターチャンスが一杯で要注意である。今後は少しずつ距離を伸ばすよう心がけたい。戸井線の生い立ちから現在を知ることは、緑園通を語り続ける上でも重要なことだと思うし、何よりもとても興味深い。人はなぜ道を作り、これからどんな道を造り続けるのか。緑園通という「ものがたり」は、案外と奥が深いのかも知れない。
(以上 初出2008年2月11日)

  • 【戸井線跡】新湊町に残る土手道
  • 新湊町に残る戸井線跡
  • 【戸井線跡】古川町側から見た橋脚と戸井線の取付部
  • 古川町側からみた橋脚と取付部
  • 【戸井線跡】石倉町から見た橋脚の頭と古川町側
  • 旧戸井線橋脚と古川町側の線路跡
  • 【戸井線跡】古川町から遠く汐首を望む
  • この先遠く汐首まで線路が伸びていた

EX巻頭の写真

旧戸井線汐泊川橋脚